今日は、自分の母親と一緒に買い物に行った。ぼくの母親は、大学を卒業してからずっと教員をしていたが、教員を55歳で早期退職して、その時から年金を貰い始め、悠々自適とまでは言わないが、父と不自由なく生活していたと思う。毎日、朝起きて体操をして、朝食をとり、自動車の免許がないので、自転車で近所のスーパーまで買い物に行き、昼食をとってからは夕食の準備まで、自分の自由な時間を過ごすのが日課となっていた。僕もそんなゆっくりと過ごしている母を見ていて癒され、何の心配もなく過ごしていた。
60歳を迎える手前だったか、母が急に運転免許証が欲しいと言い出した。最初はみんな反対だったがどうしても乗ってみたいらしく、家族みんなが根負けしたような感じだった。今までの教員時代も自転車で通える距離にしか転勤せずに、自転車が足腰にはいいからと、自動車の運転免許などは全く興味もないんだなと思っていた。でも本人はずっと車に乗ってみたかったみたいだ。「行動範囲も広がるし、今までできなかったことができるようになる」と。危ない気もしたが本人のやる気が家族の反対を許さなかった。
僕や家族は心の中では、「60歳というその年齢では自動車の運転免許証を取得するのはそう簡単ではない。費用も時間もたくさんかかって教官から匙を投げられて、諦める。」というのが常にあって、免許は取得できないと勝手に安心していた。確かに費用も時間も若い人の2倍くらいかかったみたいだったが、何とか取得してみせた。目標を持った人間の強さをマジマジと見せつけられた。教習所の教官は大変だったと思うけど、よく匙を投げずに最後まで頑張ってくれて感謝しかない。
免許取得から、あっという間に知人から中古の軽自動車を買って乗っていた。最初から初心者マークとお年寄りのマークをつけての運転だった。確かに危なっかしかったが、初心者マークとお年寄りのマークの2つついてる車は、他のドライバーの人も危ないと察知してくれて、ものすごい車間距離をとってくれるので、母も他の車のことは気にせずに運転できるみたいで上機嫌だった。いろんなところに行けて、新しい趣味もできて、新しい友達もできて、運転するのも楽しそうだった。その後も運転に慣れても安全運転で家族みんなが母が運転する姿が当たり前になっていった。
ここ何年か前から高齢者の交通事故が目立ってきた。アクセルとブレーキの踏み間違えが多いように思うが、それだけではない。僕の母親も高齢者と言われる年齢になり、「自分の運転に自信があるほうではない」と、自分のほうから免許を返すと言い出した。それを聞いた僕はショックだった。確かに年齢は高齢者といわれる年齢だが身体も心も健康そのものだ。だから年齢は高齢者といわれても実感がなかった。それを言われて母親をよく見ると、確かに年齢を重ねてきたのがよくわかる。これから身体も心も悪くなることもある。なんだか寂しくなったのを覚えている。
ここ最近は僕もアルバイト生活なので、母親をよく助手席に乗せて買い物に行く。今までこんなに一緒に買い物なんて滅多になかった。段々と小さくなっていく母と、何気ない話をしながらいろんなところへ行く。これはこれで免許返納もよかったかな。
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